プロフィール

いけざわ益彦

池澤 益彦(いけざわ ますひこ)

学校
仕事
出身 :佐伯市鶴見 羽出浦

小中高:旧中浦小学校・中浦中学校(現松浦小学校・鶴見中学校)
高校 :佐伯鶴城高校
大学 :一橋大学 商学部

職歴 :第一勧業銀行(現みずほ銀行) 行員
    住友林業 香港(Hong Kong)出張所長
    住友林業 財務部長
    住友林業 海外管理部長
    大分県事業承継・引継ぎ支援センター 職員 など

現職 :中小企業診断士・行政書士
趣味・嗜好料理・バイクと自転車・庭いじりなど、犬が好き
資格中小企業診断士行政書士FP(1級ファイナンシャル・プランニング技能士)
認定経営革新等支援機関ほか
好きな言葉雨垂あまだれれ石をも穿うが
家族妻(佐伯市海崎出身)、娘2人
執筆「月刊バンクビジネス」に寄稿、「府中市活性化に資する地域通貨に関する報告書」で共著など多数

中学校時代まで、旧鶴見町の羽出浦で過ごしていました。実家は、父親は漁師母親と叔母で民宿を経営している兼業漁師でした。
私が小さい頃は、目の前の海で魚釣り・貝堀り・タコ突き、冬は裏の段々畑で基地遊び、もちろん夏場はサザエ取りなど、自然まみれの生活してました。特に、忘れられない風景は、裏山の神社の軒下から寝転がって眺める「夏の真っ青な空と真っ白な雲」のコントラストです。

高校は、バスも既に通っていましたが、当時は下宿で佐伯市の高校に通う人が多く、私も無理言って下宿をさせてもらいました。新町通り沿いに下宿をしていましたので、よく二階堂書店や南国ラーメン、上海ラーメンへお世話になりました。この下宿で交流した先輩・後輩とは、今でも親しく交友させてもらっています。

大学からは東京へ出てしまい、県外の生活が続きました。就職の振り出しは銀行でした。ものづくりに関係したいと思い、すぐに住宅メーカーへ転職しました。しかし意に反して、銀行勤めの経歴や大学の専攻からか、30代までは財務や経理の仕事が中心でした。仕事としては、資金調達運用・銀行取引はもちろん、IRや決算短信・有価証券報告書の作成、税務調査、経営計画や予算作成などへ携わりました。会社員時代の後半に至ってようやく、希望していた事業開発やM&A、海外事業に携わることが多くなりました。

会社は、海外事業として、植林・建材生産・住宅事業などを行っていました。私は、財務時代の香港駐在を振り出しに、ロンドンを含むイギリス・ニューヨーク・シンガポール、その後の海外管理部時代にインドネシア・マレーシア・ベトナム・ミャンマー・台湾・中国などの東南アジア地域や、オーストラリア・ニュージーランド・パプアニューギニアといったオセアニア地域、西部・南部アメリカなど、数多くの国へ訪問の機会がありました。特に、活力のあるアメリカや発展目覚ましい東南アジアには衝撃を受けました。

一方で「夏の抜けるような青空と真っ白な雲」の佐伯が忘れられず、内心、故郷での仕事が得られないかと考えていました。その想い実現のため、50代半ばから中小企業診断士・行政書士資格の勉強を始めました。資格を取得した後は会社を早期退職して独立。事業者支援を生業とする自営業主になりました。

独立後は、経営支援した事業者様も100社(者)以上となりました。また、商工会議所・商工会で延べ300日以上にわたり窓口相談をさせてもらっています。

後に縁あって、大分で仕事ができる「大分県事業承継・引継ぎセンター(事業承継やM&Aを支援する公的機関)」の職を得ることができました。センターの仕事は2年半ほどに及びましたが一方で、大分全県の仕事なので常に佐伯との距離を感じていました。

少しおこがましい話ですが、私を育ててくれた佐伯に、直接佐伯の地域振興の一助ができないかとの想い」がつのってきました。それが政治を目指す動機です。

私の強みは、会社員時代に会得したビジネスや海外事業に関するノウハウや、中小企業の支援に関する知見、これらにも増して、経営者から学者に至る東京で交流した幅広い人脈です。
きっとこれらは、21世紀、それだけでなく22世紀を担う子供達に夢や希望を与えれる佐伯市を創るためにお役に立てると信じています。

ただ、私には大きな母体や支持基盤がありません後援者カード等のお願いする人もあまりいません
佐伯に新しい風を!」吹かせることができるよう、皆様お一人おひとりの力をかしてください。